英会話の構造
F総研の顧問先約8000社のコンサルティングなどに使うことになると、このシステムの導入は、3年後には頭打ちになると予測される、F総研の経常利益率のさらなる向上にも貢献することになると思います。
3年後、30億〜40億円で横ばいになると予測される経常利益も、10億〜20億円は上積みできるのではないかと読んでいます。
この導入により、経営診断が高いレベルで標準化できるとともに、コンサルティングに入る前に、これまで経験や勘で判断していた部分もきちんと数字で把握できるようになるでしょう。
この素晴らしい予測分析については、私が実際に体験しています。
たとえば、Sの業績が悪化しそうだということが、2001年度の連結決算ですでにわかっていました。
Sの企業力総合評価108というのは、けっして悪い数字ではありません。
しかし、安全性は良否判定の中間点のゼロ(正確には0.01)でした。
とても一株4000円の優良銘柄の株価と見合う実態ではありません。
もうこの段階で、Sはイメージが実態とかけ離れた会社になっていたのです。
S、N自動車、Fなどは安全性に問題があり、このような企業はいま、リストラによる益出しを余儀なくされています。
売上げ7兆4736億円(前年度比マイナス1.45パーセント)、営業利益2246億円(前年度比プラス37・7パーセント)、当期利益255億円(前年度比750パーセント)は、けっして悪い数字ではないように思えました。
しかし同時に、2003年1月〜3月期(2002年度第四半期)は、営業損失265億円、当期損失22億円の業績悪化とされ、2004年3月期の業績見通しが大幅に下方修正されました。
売上げ7兆4000億円(マイナス1.5パーセント)、営業利益1300億円(マイナス30パーセント)、純利益は500億円(マイナス57パーセント)と大幅に落ち込行いました。
ともかく、株価と実態のこのような元離は、必ず調整されるときがきます。
もう一つの着眼点は、人員整理によって生産効率は上昇しているのに、営業効率は四期連続して下落し、しかも赤信号領域に突入していることでした。
いずれ市場がこれに気がつくとき、Sの株価は暴落することになると私は判断していました。
そして実際、その通りになりました。
翌4月25日、S株には売り物が殺到し、取引時間中に値がつかない異常事態となりました。
大引けには比例配分でストップ安の3220円、さらに週をまたいだ4月28日も連日のストップ安となり、2720円まで売り込まれました。
4月24日の終値は3750円でしたから、たった2営業日で1000円も下げる急落となったのです。
これにより、日経平均も7700円を割り込み、バブル後最安値を更新することになりました。
いわゆる「Sショック」と呼ばれている現象です。
このように数字ではっきり予測できたのは、Sだけではありません。
MやSの破綻、M電器のV字回復、Nの再生、YやYの状況も見事に分析できていました。
N自動車は、いまのところ安全性に問題があります。
さらに今後、Dの業績がなかなか回復しないことも予測できています。
長期的な企業収益の予測ができますから、融資を行う銀行をはじめとする金融機関にとって不可欠のシステムといっていいでしょう。
また、公認会計士や税理士にも、強いニーズがあります。
この便利なシステムで資金ショート、倒産、貸し倒れなどのリスクを回避できるだけでなく、新たな商品開発に取り組み、完成させねばならない時期もわかります。
F総研を実例として先に述べた通りです。
儲かるシステムができていても、他の経営リスクによって破綻することが、バブル崩壊後は珍しくなくなっています。
どんなにいい商品、どんなに素晴らしい技術、どんなにすごい営業力があっても、安心できません。
企業経営を成功に導くために、経営リスクを回避する仕組みが不可欠な時代が訪れたのです。
それでは、成功の方法論の解説に入ります。
まず最初に言っておきたいことは、「天職」発想で取り組まなければ成功は難しいということです。
いましている仕事が自分の天職だと思って取り組まなければ、本当の実力は身につきませんし、当然のことながら成功はできないといっていいでしょう。
私がコンサルティングの仕事を天職だと思うようになったのは、1963年か1964年の頃だったでしょうか。
まだ30歳そこそこでしたが、当時勤めていた日本マネジメント協会の経営指導部長をしていました。
自分より年上のコンサルタントを含めて部下が何十人かいるようになっていました。
私がコンサルティングに行くと答えがすぐに出て、思った通りの結果が出るのですが、他のコンサルタントの人はとても時間がかかっていました。
それを見て、やっと仕事に自信がついてコンサルティングが自分の天職だと思えるようになったのです。
しかし、そうなるまでにはずいぶん時間がかかりました。
私は1956年に大学を卒業して、一カ月後に財団法人安全協会へ入りました。
ここで産業心理と、文章を書いて編集することを覚えました。
また、能率のことをさんざん学ばせられました。
安全協会というのは産業安全のための協会でしたから、そこの会員から、事故を起こさないようにするにはどうしたらいいかという相談がきます。
しかし、当時は特別なノウハウなどはありません。
1955年に日本生産性本部(その後、社会経済国民会議と統合されて社会経済生産性本部になった)ができて生産性運動を進めていましたが、安全管理のアドバイスなどは、日本でほかにやっているところがありませんでした。
そこで安全管理の方法を検討することになったのですが、事故が起きるのはたいてい夫婦喧嘩してきたあとだということなどがわかりました。
それで、心理学の問題だということです。
おかげでフラストレーションの専門家になって、頭が学生時代から禿げていたせいもあってか20代半ばで「先生」と呼ばれ、いろいろな大企業へ安全管理のコンサルティングに行ったものです。
当時はまだ、コンサルタントという言葉すら認知されていませんでした。
当時、アメリカのW大学のRという教授が産業心理研究の第一人者でした。
私は、Rを師として産業心理学の勉強をしました。
研究の結果、フラストレーションがたまったときに事故が起きることなどを発見しました。
国鉄やY製鉄の安全管理のアドバイスも行いました。
「ムダ・ムラ・ムリ」の少ない工場レイアウトをすれば、事故が少なくなることなどは、この頃に知ったのです。
このような経験をして、私はコンサルティングを天職と思い始めるようになりました。
その後、T(現在のT)と縁ができ、いつのまにか私はマーケティングに興味をもち始めるようになります。
もともとマーケティングなどにはまったく興味がなかったのですが、コツコツとものをつくるのもいいが、売る仕組みづくりに天性の才がありそうだと気づいたのです。
当時、大きなコンサルタント機関が4つありました。
その一つが、先に紹介した日本生産性本部です。
もう一つが日本能率協会(JMA)です。
「ノーリツ」という考え方から経営全般のコンサルティングをしていました。
3つ目がN事務能率協会(NOMA)で、これは現在の日本経営協会です。
英会話が集結しました。良い意味で英会話とは別物です。
正しい健全な英会話の完全限定グッズとなります。の意識を持つことが重要です。
ビジネス視点で英会話がさらにリアルになりました。予約不要の英会話です。